No.6 七転八起のスクランブラーゼ同定

鈴木 淳 京都大学高等研究院 物質‐細胞統合システム拠点(iCeMS)・生命科学研究科

 40 代前半の私は自称、若手研究者である。若手研究者であるから自分のこれまでの研究を振り返る時期でもない。しかし、コロナ禍の中、学会で交流ができない今だからこそ、学生を含めた若手研究者に発見のストーリーを伝え学術交流をするという中野裕康先生の言葉に賛同した。ゆえにこのエッセイのメインターゲットであると考えられる若手研究者(大学院生から独立前の研究者)と同じ時期、自分で毎日実験を行い、一喜一憂していた時のことを記したいと思う。自分の研究における経験が少しでも役に立てば幸いである。

1.いざポスドクへ
 学部 4 年の卒業研究はニュージーランドでおこなった。日本で大学院に進み、学位取得後は当然、海外に留学にするものと思っていた。実際、イギリスやアメリカの共同研究者から興味があるなら来ても良いと声をかけてもらっていた。しかしながら自分が何をしたいのか問いかけると「未知の現象のメカニズムを、バイアスをかけずに分子を決めることで明らかにしていきたい」という思いがあった。

 修士課程の時にがん研究の第一人者である花房秀三郎先生の研究室に参加し、当時ポスドクであった宍戸知行先生と細胞のがん化機構に関する研究を始めた。研究対象としていた原がん遺伝子の c-abl はレトロウイルスによるがん化の責任遺伝子の一つであり、フィラデルヒア染色体転座がもたらす慢性骨髄性白血病の原因遺伝子(Bcr-abl)としても注目されていた。特に、ノーベル賞受賞者の David Baltimore の門下生を中心に海外において研究が盛んに進められており競争も激しかった。研究自体は好きであった。博士課程の時に宍戸先生が独立して奈良に一緒に異動し、研究費は限られていたが周囲のメンバーにも恵まれていた。しかし、多くの研究者が参入している分野においてどこに自分の研究の独創性があるのかを考えなければならなかった。私自身は、c-abl の喪失による足場非依存性増殖(がん化形質の一つ)に注目してたが、それを説明するシグナルに関するヒントを他人の論文から得ようとしていた。自分の注目する現象に対するヒントを他人の論文に求めている時点で他人のコンセプトの中で考えてしまっている。これではいけない。できるだけ自分で決めていかなければならないという気持ちがあった。

2004 年 11 月 花房研同窓会(前列中央 花房先生、中央右青色シャツが著者)

 そのような中でポスドク先について考えているときに、頭の中に浮かんだのが長田重一先生である。アポトーシスという現象に対して、しっかりと分子同定しながら研究を進めている。まさに自分の理想だと思った。アポトーシスに格段の興味があったわけではない(すいません)。しかし長田先生と仕事をすれば、その後、どのような分野にも切り込んでいけると思った。2006 年 3 月、ポスドクとして参加したい旨をメールに書いた。返信が無かった。その後、1 ヶ月ごとにメールを書いた。最初にメールを出してから 3 ヶ月間返信が無かった。2006 年 6 月の生化学会の長田先生の講演後、質問に行き気持ちを伝えた、すると、少しごまかす感じで「忘れてたよー」と言われた。直観的に本当でないと思った。その 1 ヶ月後、長田研で研究内容について講演を行い、なぜ長田研に来たいのか聞かれた。阪大には他にもたくさん良い研究者がいるためそこにいくことを勧められた。しつこく言われるのでその場をやり過ごそうと、「長田先生のところにきて次のキャリアで考えます」と答えた。すると夏の日のゲリラ豪雨のごとく突如状況が変わり、少し怒った感じで言い放たれた。「じゃあ、今そこに行けばいいじゃないですかー」。これは直球勝負しかないと思い「長田先生以外考えられません」と伝えた。「分かった。それならしょうがないよ」少し嬉しそうに言われた。2006 年 9 月、次の 4 月から長田研にて研究ができることが決まった。ひとこと、言われたのは「研究以外はサポートしません。就職は自分でやってください」。

2.何を研究するのか
 長田研は 5 月に阪大から京大に移ることが決まっており、最初の1ヶ月間、実験をせずに何をするのか考える時間を与えられた。当時長田研では、「アポトーシス」から「アポトーシス細胞の貪食」に研究が大きくシフトしていた。私が入った当時は、死んだ細胞が提示するホスファチジルセリン(PS)を認識する PS 受容体である TIM4 が同定されたころである。研究室内には自分も新しい発見をしてやろうという研究室メンバーの熱気に溢れていた。当然、自分も貪食因子に関わることをやるのを期待されていたと思う。けれども1を10 にするところはやりたくないと思った。長田研のメンバーと話をして分かったのは、研究室で以前、PS を露出するタンパク質を同定する試みがあったことである。PS を露出するタンパク質に関して文献で調べてみると、「リン脂質が双方向に区別なく輸送した(スクランブルした)結果、通常は細胞膜の内側に局在する PS が細胞表面に露出する」とあった。1996 年にスクランブラーゼらしきものが海外でとられているがどうやら違うらしい。色々な仮説はあるが分野は混沌としている。スクランブラーゼが実際に存在するかどうかは不明だが細胞が死んだ時に PS が露出するという現象は周知の事実であり、それのメカニズムに迫ることは面白いと思った。京都大学への引っ越しも完了した 2007 年5月末、スクランブラーゼを見つける旅にでかけた。空がいつもより明るく見えた。

3.新しい挑戦のスタート
総説を読むとスクランブラーゼはカルシウム依存的であると考えられていた。そこで、赤血球の細胞膜からタンパク質を調製し、リポソームに埋め込み、カルシウム依存的に動く分画から分子同定をしようと考えた(今考えても相当難しいが)。最初に、赤血球膜から細胞膜だけを調製し、内と外がひっくり返った小胞膜を作製することから始めた。小胞膜の調製方法は幾つかの論文を参考にしながら進めた。多くの条件検討が必要であったが、一つ一つ確認しながら進めていき、半年後、一つの結論を導くことができた。分かったのは「赤血球膜を用いてカルシウム依存的なスクランブラーゼが存在することを示した論文が追試できない」ということである。2008 年 1 月、新婚旅行で長めの休みをもらったが、本当にスクランブラーゼを見つけれられるだろうか?という不安な気持ちを抱えて旅行先で過ごしていた。真っ青な空が少し冷ややかに思えた。

 赤血球膜を使用した実験で分かったのは、やはり事実を自分の手でしっかり確認しながら進めないといけないということ。そして、得意な細胞を用いた実験に切り替えるべきだということである。帰国後、色々と実験を積み重ねると、イオノフォアを用いた細胞内へのカルシウムの流入で PS が露出することは確かなことが分かった。しかしながらイオノフォアを用いてカルシウムを流入させると細胞が死んでしまう。どうしようかと考えていた時に、細胞外カルシウムがない状況でイオノフォアを用いても PS が露出することが偶然分かった。小胞体にためこまれたカルシウムが作用すると考えられた。これはいけるかもしれないと心の中で思った。頭の中で作戦を立てた。cDNA library を導入して、生きたまま PS を強く露出した細胞を、FACS を用いて集め遺伝子同定しよう。試しに、ライブラリーを導入しないで PS を強く露出している細胞集団をソーティングし、カルシウムを含まない培地で一晩培養してみた。すると次の日、全ての細胞が死んでいた。カルシウムがないためか?と思ったが、イオノフォア処理後、カルシウムをいれると細胞がすぐに死んでしまうのでカルシウム無しの条件は変えられない。PS を露出した細胞はソーティングに耐えられないのでは?とも思ったが、ソーティングで集めることができる細胞数が少ないので、それがストレスになり細胞が死んでいるのではと考えた。そこで、ソーティング後の細胞を 96 well plate (round bottom)に沈めて密にして培養してみた。すると次の日の朝には全ての細胞が生きていた。よし、これでいける。心の中でつぶやいた。しかしながらその次の日には全ての細胞が死んでいた。一難去ってまた一難。カルシムは細胞が増殖していく段階では必要だと考えた。ゆえにソーティング後、カルシウムを含まない培地で密に 1 日培養した細胞を、カルシウムを含む培地に交換して培養した。すると次の日には全ての細胞が元気に増殖していることが確認できた。イオノフォアによりストレスにさらされている細胞でも生かせたまま増やすことに成功したのである。これで遺伝子同定に進めることができる!心の中で叫んだ。帰り道、夜空には月が明るく輝いていた。

4.準備は入念に
 スクリーニングを始める前に、まずライブラリーを入れない場合に濃縮がかからないことを確認しようと思った。しかしながら予想に反して、ライブラリーを入れなくても、ソーティングを重ねるごとに PS を強く露出する細胞の濃縮がかかってきてしまった。cDNA library を入れても濃縮をかけられないかもしれない。悲壮感が漂った。実験を行っている者はネガティブデータに直面する度に自分の実験に限界を感じる。しかし次の日の長田先生とのミーティングで、「まずは PS を露出しやすい細胞を作製してそれから考えたらいいですわ」というアドバイスをもらった。こういう一言で実験をしている者がどれだけ助けられるか。感謝しかない。ではどこまで濃縮をかけられるのか?1 µM のイオノフォアで刺激後 1~5%の強く PS を露出する細胞を集めて一晩カルシウムの無い培地で培養し、次の日にカルシムを含む培地に変えて細胞数を増やす。それをイオノフォアの濃度を段階的に減らしながら 19 回、約半年間、繰り返した。すると最初の細胞では反応できなかった 125 nMのイオノフォアでも強く PS を露出する細胞(PS19)が樹立された。準備は整った。

2012 年 3 月 長田研究室メンバー Robert Horvitz(中央右)を迎えて
(中央左 長田先生、テーブル左 著者)

5.ゴールはまだ遠い
 ではどのようにスクランブラーゼを同定するのか?頭の中では、PS19 細胞ではスクランブラーゼの発現が高くなっているイメージを描いていた。そこでマイクロアレイを行い、PS19 細胞で強く発現している遺伝子を複数クローニングして野生型細胞に発現させた。結果は、何も変わらない・・・。山中因子の同定方法を真似てクローニングした全ての遺伝子をいれてみたりもした。何も変わらない・・・。そこで、PS19 細胞ではスクランブラーゼの活性を抑えている遺伝子の発現レベルが減少していると考え、野生型の方で発現が高い遺伝子を複数クロ―ニングして PS19 細胞に入れてみた。結果は、何も変わらない・・・。そこで遺伝子の発現レベルではなく、タンパク質レベルでの発現が変わっていると考えた。膜画分を遠心により調製後、タンパク質を可溶化、二次元電気泳動を行い、銀染色により発現が変わっているタンパク質があるかを確認した。系の確立には少し時間がかかったがようやく結果が出た。親細胞と PS19 細胞との間で発現は何も変わらない・・・。さすがに気持ちも限界に近付いていた。ポスドク2年目が終わろうとしていた。長田先生も「色々と考えていかないといけないですよ」と言われた。

 このまま諦めるべきか続けるべきか。しかしながら、博士課程の時にがん研究をやっていた自分にはまだ検証していない可能性が残っていた。すなわち、がんなどにおいてはメチル化等により発現が抑制されることがある一方で、Ras や p53 などのように変異が入り機能を変化させることもある。スクランブラーゼに変異が入っているのではないか?と思った。当然、変異により質的な変化があるものは上記の方法ではとれない。でも機能獲得、機能喪失のどちらだろうか?がん抑制遺伝子の存在を示した論文で細胞融合を用いて確かめていた実験があることを思い出した。そこで、親細胞と PS19 細胞を、ポリエチレングリコールを用いて融合させてみた。すると、融合した細胞においてもスクランブラーゼ活性が強いことが分かった。すなわち、スクランブラーゼに機能獲得変異が入っている可能性が考えられた。ではどのように同定するのか?cDNA library スクリーニングしかない。

6.目標はかなえられる
 では cDNA library をどのように調製するのか?既に Yale 大学に留学していた研究室先輩の岡部さん(現阪大 IFReC)、TIM4 を同定した宮西さん(現理研 BDR)は cDNA のサイズを分けて cDNA library を作製していた。長田先生は「そんなの一緒でいいよぉ!」と言われた。私の研究に時間がかかっていたからかもしれない。しかしこの時ばかりは長田先生のいうことを聞き流した。実験をしているとサイズが大きいものは Ligation で圧倒的に入りにくいというのを経験していたためである。そこで 1000-2500 bps、2500-6000 bps のサイズの異なる 2 種類のライブラリー(それぞれ 100 万クローン以上)を作製した。スクランブラーゼは大きいであろうという想定から、まずはサイズの大きいライブラリーを用いて、次にサイズの小さいものを用いてスクリーニングを始めた。

 まず cDNA library に PS 露出を促進するポジティブなものが含まれているかを確かめるために、1つの細胞に複数のウイルスを感染する条件でスクリーニングを行った。最初の 2回のソ-ティングではほとんど変化がなかった。しかし 100 万個のクローンにポジティブなクローンが数個なら 3 回目で濃縮がかかるはずだと言い聞かせた。そして、3 回目。ついに濃縮がかかった!そして 4 回ソーティングをするとほぼ全ての細胞が 125 nM のイオノフォアで PS を露出するようになった。そこで4回ソーティング後の濃縮がかかった細胞からゲノム DNA を精製し PCR にかけた。複数のバンドが出てきた。1 細胞に複数のウイルスを入れていたためである。ここからの遺伝子同定は難しい。そこで今度は、ウイルスを薄く感染させてスクリーニングを行った。ウイルス感染も独立して 8 回、異なる細胞集団に行い、8 つのラインで独立したソーティングを行った。絶対に同定するという気持ちしかなかった。1 回目、2 回目のソーティングでは前回と同様濃縮はかからない。大丈夫。そして3 回目、弱いピークが出現した。いけるかもしれない。4 回目、明らかな濃縮がかかった。順を追って進めていた 8 つのラインで全て濃縮がかかった。よしこれでいける。これらの細胞よりゲノムDNAを調製後、PCR にかけると全ての細胞の PCR において 3 kbps にシングルバンドが出てきた。バンドを切り出し精製後、シークエンスをよみ、データを PubMedの BLAST サーチにかけた。それは 8 回膜貫通タンパク質の TMEM16F であった。多重膜タンパク質である。ついに天使が微笑んでくれたように思った。しかし遺伝子情報をみるとCalcium-activated chloride channel とあった。帰り道、月は雲に隠れていた。

7.期待は裏切られる
 調べると、TMEM16F のファミリーメンバーの TMEM16A が 2008 年に3つのグループから Calcium-activated chloride channel として同定されていた。ゆえにそのファミリーメンバーの TMEM16F も Chloride channel として考えられていたが、きちんとは解析されていなかった。まだやる価値はある。そう思った。まずは cDNA library スクリーニングでとれた TMEM16F の全長をよんでみた。予想通り、変異が挿入されていた!2 回目の細胞内領域のアスパラギン酸をグリシンに変える点変異をもった恒常的活性化体であった。すなわち、PS19 細胞に変異が挿入されているという仮説は正しかったのである。この時、マイクロアレイや二次元電気泳動で分子同定できなかった理由も明確となり、自分が結論付けた実験結果は全て正しいことが分かった。これまでのネガティブデータが昇華されたように思えた。

 実際に変異体を細胞で発現させると生きた細胞でも PS が露出する。次にノックダウンを行い TMEM16F の発現が抑えられるとカルシウム刺激後の PS 露出が減弱することも分かった。全てが思った通りであった。では一番知りたい細胞が死んだ時の PS 露出はどうか?答えは明確であった。TMEM16F の発現を抑制しても過剰発現しても何も変化はなかった・・・。2 年半の後に見つけた TMEM16F が細胞死の時の PS 露出に関係なかったのである。天国から地獄に突き落とされた気持ちであった。皆が気をつかってくれたのが苦しかった。食事も喉を通らなかった。

 1 週間後、細胞死の時のスクランブラーゼがとれていないことが分かった状況で、それをとるという目的で出した学振ポスドクの面接によばれた。とりたいという熱意は伝えたが自信はなかった。帰りの新幹線で考えた。この後どうしたらよいのだろう。どうするべきなのだろう。しかし、TMEM16F のスクランブラーゼ活性は確かであり、何かはしているはずである。その時、長田研にきて最初の1ヶ月の間に読んだ総説を思い出した。止血の時に血小板において PS が露出することで血液凝固反応が起こる。それが不全となる病気があったなぁ。京都に戻り調べるとスコット症候群であった。ちょうど犬のスコット症候群の原因遺伝子が 27 番染色体に存在するというところまで絞りこまれていた。調べると TMEM16Fはそこに位置していた。もしかすると TMEM16F は止血にきいているかもしれない!

8.予想を超えた発見
 翌日、長田先生にスコット症候群のことを伝えた。興奮していた。調べると、正しくはないであろうスクランブラーゼを報告していた(すいません)Peter Sims 博士が患者の不死化細胞を樹立していた。少し複雑な気持ちになった。どのような人か分からない。しかし、長田先生が Sims 博士とかつて仕事をしていた小島博士に連絡をとり Sims 博士の人柄がわかり安心した。すぐに患者の細胞、並びに両親の細胞、健康なヒトの細胞をアメリカより送ってもらった。凍結された細胞を起こすと健康なヒトの細胞、両親の細胞ははきちんと起きたが患者の細胞はほぼ全て死んでいた。ここでも試練が来るのかと思った。凍結ストレスを受けた後の細胞はそもそも元気がない。ならば密に培養しよう。イオノフォア刺激の時に苦労した細胞を生かせる方法もここでは役に立った。実際にやってみると、時間はかかったがわずかに生き残った細胞が徐々に増えてきた。そこでこの細胞より mRNA を回収し cDNA に変換、TMEM16F の領域を PCR で増幅させた。するとサイズが少し短い。調べるとエキソン 13 がスキップされていた。ではゲノムレベルではどうか?エキソン 13 の周辺のゲノムをよむとスプライシングアクセプターにホモ変異が入っていた。両親においてはヘテロであった。TMEM16F がスコット症候群の原因遺伝子であることが分かった瞬間である。

9.研究の拡がり
 その後、TMEM16 ファミリーメンバーの中に複数のスクランブラーゼが存在することが分かった。またサイズの小さい cDNA library を用いて細胞死の時に”Eat-me” signal としてPS を露出させるスクランブラーゼ、Xkr8 を同定し、そのファミリーメンバーにも複数、スクランブラーゼがあることも見出した。Xkr8 においては細胞膜に移行させるためのシャペロンも同定できた。独立してからは、細胞膜スクランブンブラーゼ Xkr4 の活性化因子が予想に反して核内に存在することを研究室の助教の圓岡さんが見つけた。これに関しての紆余曲折のストーリーは別の機会に彼から話をするのがベストであろう。

10.いざ独立
 ポスドクを初めて 8 年目(助教の頃)の 2014 年頃、独立したいと思う気持ちは頂点に達していた。しかしどのように動けばよいのか分からなかった。幸運なことに、2016 年に Xkr8のシャペロンを同定した頃、独立ポストに関して色々な方面から声をかけてもらうようになった。その結果、2017 年京都大学 iCeMS において独立することができた。コネなどは全く無かった。精一杯研究をしてシンポジウムに呼ばれた時には全力でプレゼンをし、ヒトの発表に必ず質問をすることを心がけていたぐらいである。頑張っていれば誰かは見てくれている。だから若手研究者にはどのような状況にあっても希望をもってほしいと思う。

 長田先生は最初の宣言通り就職に関して積極的にアドバイスをされることはなかった。しかし、学会等で会う先生方が独立したいなら研究費をとらないといけない(独立して研究室を運営するため)と教えてくれた。新学術も誘われるまでは恥ずかしながらその存在を知らなかった。しかし新学術に加わることで研究の幅を広げることができ、独立してから数年の研究室運営をスムーズに進めることができている。尊敬できるボスも全能な神ではない。それはボスになった今の自分も同様である。それぞれが自身の信念のもとに優先順位をつけて動いている。ゆえにそれだけを追随すると視野を狭めることとなる。だからこそ学会等の研究者コミュニティにおける人のつながりが重要であると思われる。それは多面的な視点を与え、自身の研究成果を共有し、客観的に自身の研究を捉える機会となる。そして異なるキャリアのステージでアドバイスをもらい与える場としても機能するであろう。

2019 年 7 月 iCeMS Retreat (iCeMS は外国人が約 30%をしめる)

11.若手研究者に
 学生時代、ポスドクの時は、研究のことだけを考え、自分で出したデータに一喜一憂し、うまくいかないことに悩み、自分で手にした発見を楽しんだ。同時にこの先はどうなるんだろうという不安がいつも心の片隅にあった。教授(テニュア)になるとポジションは安定し、何より将来を担う異なる才能をもった学生・若手研究者を育成しながら共に研究を進めることができる幸せを感じる。しかし同時に研究以外の仕事も増え、研究室メンバーの将来をサポートする責任も増し、研究費を常にとり続けるというプレッシャーも味わう。結局は、その時、その立場で瞬間、瞬間をきちんと楽しみ、研究の面白さを思う存分味わいながら進んでいくだけなのだと思う。

 研究のスタイルにも正解は無く、色々な研究のやり方があって良いと思う。ただ大学院の時はとにかく実験をして自分で考えて、実験に対する感覚を身につける必要がある。全ては実験結果をもとに判断するのでその基礎をしっかり構築しなければならない。そして自分なりの研究への取り組み方を確立していくのである。その中で時々、予想を超えた発見がなされるのであろう。ただ、全ての発見に共通するのは、最後は研究をしている人間の執着心だと私は思う。他人が到達できかったところに到り着くためには、アイデアだけでは不十分で、毎日の実験を積み重ね、最後は忍耐強く前に進めていく過程が重要であると考える。学生を含む次世代の若手研究者が、自らの興味に従って新しいことに挑戦し、自らの手で新しい発見を手にすることを願っている。私ができるアドバイスは、メールの返信が無い時、実験がうまくいかない時は粘り強くいくということであろう。

2020 年 11 月 現在の研究室メンバーと共に

12.さらなる挑戦
 京都大学では、海外に京都大学の研究室をつくる On-site lab プロジェクトを推進している。昨年度より私は台湾を担当することになった。「未知の現象のメカニズムを、バイアスをかけずに分子を決めることで明らかにする」ことを目標として、台湾の研究者と新しい領域の開拓に挑戦する。まだまだ挑戦をできる私は自称、若手研究者である。

2019 年 12 月 台湾 Academia Sinica との MOU において
(山際総長、稲葉理事、Vice President Dr. Liu、Academia Sinica の研究者達と共に)

【著者プロフィール】
2000 年 6 月 大阪府立大学総合科学部卒業
      (Victoria University of Wellington Mentor: Geoff Chambers & Darren Day)
2003 年 3 月 大阪大学大学院医学系研究科 修士課程修了
      (大阪バイオサイエンス研究所 花房秀三郎研究室 メンター:宍戸知行)
2007 年 3月 大阪大学大学院医学系研究科 博士課程修了(2006年JSPS特別研究員DC2)
      (奈良先端科学技術大学院大学 竹家達夫研究室 メンター:宍戸知行)
2007 年 4 月 京都大学大学院 医学研究科 研究員(2010 年 JSPS 特別研究員 PD)
      (長田重一研究室)
2010 年 11 月 京都大学大学院 医学研究科 助教
2015 年 7 月 大阪大学免疫学フロンティア研究センター 寄附部門准教授
2017 年 1 月 京都大学高等研究院 物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)教授
2017 年 12 月 京都大学高等研究院 iCeMS 副拠点長
2017 年 12 月 京都大学大学院 生命科学研究科 教授(協力講座)
2020 年 5 月 Institute of Biomedical Sciences (IBMS), Academia Sinica, Taiwan, Joint appointment PI