No.5 Fas を見いだした頃
米原 伸 京都大学薬学研究科
1.はじめに
細胞死は、プログラム細胞死の概念によってサイエンスの対象となった。個体発生時に決まった細胞が死んでいく現象や遺伝子の機能で規定された細胞死が認められることにより、細胞死は生物が有する能動的な必要不可欠の現象であり、厳密に制御されなければならないと認識され、細胞死の研究が開始され進展してきた。そして現在では、プログラム細胞死の代表であるアポトーシスは内因性経路(intrinsic pathway)と外因性経路(extrinsic pathway)という二種類の異なった経路を介して誘導されることが明らかとなっている。確かに、内因性経路は厳密に制御された細胞死である。一方、自爆するための細胞表層レセプター(death receptor)が引き起こす外因性経路については、生体内で誘導される機構として厳密に制御されることは難しいと考えられる。このような偶発的な要素を含む細胞死誘導機構が存在するとは、細胞死研究が始まった頃には予想もされていなかった。death receptor 分子の発見は論理的に導かれたものではないのだ。death receptorに分類される分子としては、TNF (tumor necrosis factor)のレセプターが最初に見いだされたが、TNF は細胞死を誘導するより炎症反応を惹起・増強する因子としての活性が本来の活性であると考えられるので、アポトーシスを強く誘導する活性を有する death receptor という概念は Fas の発見によって確立されたと言える。我々が、そして少し遅れてドイツの Peter Krammer のグループが、death receptor 分子Fas(Krammer は Apo-1 と命名した)を発見し、1989 年に論文として発表した(Yonehara, S., et al., J Exp Med, 169, 1747-1756, 1989; Trauth, B.C. et al., Science. 245, 301-305, 1989)。その存在が予想されていなかった death receptorが何故またどの様にして見いだされたのか、細胞死研究に新しい展開をもたらすこととなった death receotor 発見の経緯と歴史について概説する。
2.Fas の発見はインターフェロンの研究から始まった
1975 年に京都大学理学部化学教室を卒業した私は、大学院生として京都大学ウイルス研究所でマウスインターフェロン(IFN)の研究を行っていた川出由巳教授の研究室に所属することとした。ウイルス研究所では大学院生が生き生きと新しい生物学を研究していることを化学教室の先輩の大学院生から聞き、新しい環境に飛び込むことにしたのである。生物学の基礎知識に乏しく、人生の目的も明確にはできていなかった私ではあったが、実体が不明である IFN タンパク質は夢のある物質だと感じたこと、また極微量で特異的な抗ウイルス活性を発揮する現象に興味を抱いたことを覚えている。
川出研究室では、特異的抗体を用いてマウス IFN の精製を行おうとしていた岩倉洋一郎博士(現東京理科大教授、東大名誉教授)と一緒に研究を行った。修士課程での思い出は、マウス L 細胞をルー瓶(ガラス製の培養瓶)を用いて大量に培養し(一週間に 1 人 50 本のルー瓶を数ヶ月間連続して培養した)、ニューカッスル病ウイルスを調整して(毎週 50 個の発育鶏卵でウイルスを増やした)培養した細胞に感染させて IFN を含む培養上清を取得する作業に明け暮れたというものである。そして、マウス IFN をほぼ完全に精製することに成功し(Iwakura, Y. et al., J Biol Chem, 253, 5074-5079, 1978)、放射能アミノ酸で標識した IFN を特異的抗体を用いて一段階で精製することにも成功した(Yonehara S., et al., Virology, 100, 125-129, 1980)。この時代に、オープンで自由な雰囲気の川出研究室で研究や文化について様々なディスカッションができたこと、研究に対して真摯に努力し続けることの重要性が身に染みついたことは、その後の研究者生活に大いに活かされたと感謝している。
1970 年代の後半に、IFN が B 型肝炎(B 型肝炎ウイルスの感染が原因)の治療に有効であると提唱された。当時、ヒト β 型 IFN の開発を行っていた東レ株式会社の小林茂保博士(故人)が、B 型肝炎の研究を行っていた東京都臨床医学総合研究所に兼任として招聘された。その頃、IFN の研究を行っている大学の研究室は日本には殆どなく、東京都臨床医学総合研究所で IFN の研究を行わないかと、小林博士と B 型肝炎研究グループの両方から誘っていただき、大学院を中退して 1978 年から東京都臨床医学総合研究所に所属してヒト α 型 IFN の精製を行うこととした。精製した IFNの純品を用いて基礎研究や臨床研究を行わなければ、この領域はサイエンスから遠のいてしまうという危機意識を抱いて、若いなりにある種の使命感を抱いて東京に出て行ったことが思い出される。
東京都臨床医学総合研究所では、ヒト α 型 IFN に対する特異性の高いポリクローナル抗体を調製し、それを用いてヒト α 型 IFN を簡便にほぼ純品にまで精製する方法を確立することができた(Yonehara S., et al., J Biol Chem. 256, 3770-3775, 1981)。またトリチウムロイシンで標識したヒト α 型 IFN をワンステップで調製することにも成功した(Yonehara, S. Eur J Biochem, 125, 529-533, 1982)。IFN を精製し、精製した IFN を基礎研究から臨床研究まで利用可能にすることが必要不可欠であると考えて研究を行ってきたのであるが、私自身の個人的な興味として、「IFNというタンパク質が微量で細胞に特異的な反応を引き起こす分子機構を知りたい」ということがあった。そこで、調製できた放射能標識 IFN を用いて IFN の細胞表層レセプターの研究を開始した。その頃、前記した小林茂保博士が東レ株式会社の専任に戻られ、小林グループに所属していた石井愛さん、米原美奈子さんと私の三人が東京都臨床医学総合研究所で小さな研究グループを形成することとなった。三十歳にもならない年齢の私が、小さいながらも研究グループを率いるようになったという、現在では考えられない状況が生まれたのである。この研究グループで、私は IFNとそのレセプターとの会合状態、レセプターの分子量、レセプター結合後の IFN の動態などを明らかにしていった(Yonehara, S., et al., J Virol, 45, 1168-1171, 1983; Yonehara, S., et al., J Gen Virol, 64, 2409-2418, 1983)。そして、このような研究が Fas の発見に繋がっていくのである。
その頃、ヒト IFN の cDNA クローニングがなされた(β 型 IFN が当時癌研究所に所属していた谷口維紹博士によって、また α 型 IFN がスイス Charles Weissmann 研で長田重一博士によってクローニングされた)。そしてスイスから帰国した長田重一博士(現阪大教授)との共同研究とを開始し、多様なヒト α 型 IFN が異なった生物種に由来する標的細胞に対して違った強さの生理活性を示す原因が、IFN とレセプターとの結合定数の違いに起因することを示すことができた(Yonehara, S., et al., J Biol Chem, 258, 9046-9049, 1983)。長田博士が在籍していた東大医科研に休日毎に訪問し、放射能標識した組換え型 IFN を調製したことが懐かしく思いだされる。そして、長田博士との共同研究が、後に Fas の cDNA クローニングを迅速に行うことを可能とすることに繋がったのである。
3.細胞死を誘導するヒト細胞表層に対するモノクローナル抗体
IFN レセプターの研究を更に進めるためには、レセプター分子そのものを明らかにする必要があった。そして、IFN レセプターの cDNA クローニングの試みが、海外の複数の研究室で開始されていた。そのような状況下、どのように IFN レセプター分子の実体にせまることができるかが私の問題であった。その当時の私の研究手技では、IFN レセプターの cDNA クローニングを自らの手で実行することには無理があった。自分に実行できる研究方法を考えた結果、IFN レセプターに対するモノクローナル抗体の作製を、石井愛さんと試みることにした。ウイルスによる RNA 合成や細胞障害活性を IFN が阻害するが、このような IFN による抗ウイルス活性を中和する細胞表層に対するモノクローナル抗体の取得を試みたのである。
その当時、マウスに免疫する IFN レセプタータンパク質を使用できるわけではなく、IFN レセプターの発現量が多く、がん抗原などの余分な抗原を発現していないと考えられるヒト細胞をマウスに免疫することにし、New York 大学の Jan Vilček 博士が樹立し、IFN 活性のアッセイに広く用いられていた正常細胞であるヒト二倍体繊維芽細胞株 FS-7 をマウスに免疫した。そして調製したハイブリドーマの上清が IFN 活性を阻害する(細胞に起因する RNA 合成をアクチノマイシン D 処理で抑制した条件下で、RNA ウイルスの RNA 合成やウイルスによる細胞障害活性を阻害する)活性を示すことを指標にスクリーニングを行った。そして、IFN 処理したウイルス感染細胞でも非常に強い細胞障害活性を示すことができるハイブリドーマ上清の活性を見いだした。当初は IFN 活性を中和するとも考えられたが、すぐに、ウイルス非感染細胞においても細胞障害活性が認められることが明らかとなった。このモノクローナル抗体は IFN レセプターとは関係なく、細胞を直接殺すことができる奇妙なものであった。目的とする活性を示すモノクローナル抗体ではなかったが、その細胞障害活性が目覚ましいものであったので、このモノクローナル抗体の研究も行っていくことにした。このような活性を検出できた一つの理由として、アクチノマイシン D をアッセイ系に添加していたことをあげることができる。アアクチノマイシン D には Fas刺激やTNF刺激による細胞障害活性を増強する活性のあることが後から判明し、我々の用いたアッセイ系では細胞死誘導活性を高感度で検出できたのである。
このようにして細胞を直接殺すことができるモノクローナル抗体を 1983 年に得ることができたので、このモノクローナル抗体に名前を付けることにした。当時、有名なモノクローナル抗体として抗 Tac 抗体(現在では抗 IL-2 レセプターα 鎖抗体/CD25 抗体として知られる)という名称が思い浮かんだが、この抗体を調製した内山卓博士(京大名誉教授)から、留学先で抗体の命名は重要だと言われた話を聞いていたので、呼びやすい名前をと考え、抗体が認識する抗原を Fas 抗原 (FS-7- associated surface antigen)と命名し、自動的に Fas 抗原を認識するモノクローナル抗体を抗 Fas モノクローナル抗体と名付けることにした。Fas という名前の由来は、論文には記載しておらず、よく質問される事項であるが、単に呼びやすい名前として命名したのである。
4.抗 Fas モノクローナル抗体のストーリーが認められるまで
細胞を直接殺す抗 Fas モノクローナル抗体を調製したものの、これを発表しても信じてもらえない、認めてもらえない、何を研究しているのか意味が分からないと批判される状況が続いた。例えば、抗 Fas モノクローナル抗体を日本癌学会で最初に発表した時に、フロアから「その抗体は、細胞を本当に殺しているのか?細胞の増殖を止めているだけではないのか?」と質問され、写真で見せたように細胞は死んでいるのにと思う一方、なんと返答してよいか分からず困ったこという思い出がある。質問をされた方は、当時がん免疫を束ねる立場にあった橋本嘉幸博士(故人)だが、数年後に、「米原君、君はよく頑張ったな。僕は君の話を全く信用していなかったよ」と言われた。その後、橋本博士は Fas のストーリーが国際的に認められていくことを本当に喜んでいただいたのだが、当初は全く信用されていなかったのである。
このような信用してもらえない細胞死誘導モノクローナル抗体の研究では、研究費の獲得もままならず、IFN レセプターの研究でもその実体にせまることが困難であり研究費の獲得も困難になっていった。しかし、顕微鏡下に観察できる抗 Fas モノクローナル抗体による細胞死誘導活性は私にはインパクトのあるものであり、捨て去るという気持ちにはならなかった。このような時期に重要だったのは、周囲の環境である。私は小さなグループを指揮することになっていたのだが、セミナーとしては東京都臨床医学総合研究所の矢原一郎博士が主催する細胞生物研究部門のセミナーに出席させていただいていた。抗 Fas モノクローナル抗体による細胞死誘導活性を実際に顕微鏡下に見た矢原博士や小安重夫さん(現 理化学研究所理事)、松崎文雄さん(現 理化学研究所生命機能科学研究センター チームリーダー)をはじめとする周囲の研究者が強い興味を示してくれたことは研究を継続する力となった。
その頃、東京都臨床医学総合研究所では所長に山川民夫博士が就任され、研究所の改革が始まり、私のような何の資格もない若造が研究グループを率いていることが問題となった。そして山川所長の出した結論は、私の研究グループを矢原部長のグループに吸収させることであった。我々の面倒を見ることとなった矢原部長は、私がそれまでに行ってきた研究を継続して行うことを認め、そのようなテーマについては独立性を認めることを提案してくれた。そして、結果として研究費を含むさまざまな援助をしていただくことになった。矢原博士による様々な援助がなければ、Fas のストーリーが世に出ることもなく、研究者としての私と共に消滅していたかも分からない。
また、日本で広く認められるより先に、米国の Jan Vilček 博士(上記 FS-7 細胞の作製者であり、その後、Fas の最初の論文をまとめるのに大変お世話になった)やイスラエルの David Wallach 博士(その後、Fas からのシグナル伝達で重要な役割を果たす FADD や caspase-8 の同定という素晴らしい研究成果をあげた)が強い興味を示してくれたことも支えとなった。1984 年に仙台で開催された国際ウイルス学会で抗Fas モノクローナル抗体のポスター発表をしたが、暑苦しい体育館のポスター会場で興味深いと話しかけてくれた Vilček 博士、Hei delberg で開催された国際 TNF学会と IFN 学会の合同会議で、ぜひ話をしたいというメモを私のポスターに張り付け、Vilček 博士に私を知っているなら紹介してくれと一生懸命に依頼していた Wallach 博士、懐かしい思い出である。
幸運は、それだけではなかった。我々のグループが矢原博士のグループに参加するにあたって、矢原研のテーマである IL-3 の研究にも参加することが矢原博士から提案された条件であった。そこで、IL-3 レセプターに対するモノクローナル抗体の作製を試みることにした。そして、細胞表層の IL-3 結合分子に反応する可能性のある(IL-3 を処理するとダウンレギュレーションされる抗原を認識する活性が認められるもので、IL-3 レセプターを認識するとは証明できてはいなかった)抗 Aic-2 モノクローナル抗体を調製した。新井賢一博士の DNAX 研究所で伊藤直人博士と宮島篤博士による発現クローニング法よってこの抗体が認識する IL-3 レセプターβ 鎖のcDNA クローニングが成功し、GM-CSF や IL-5 と共通のレセプターβ 鎖が存在するという新しいストーリー誕生の端緒となった。抗 Aic-2 抗体による私の研究が実証され認められることによって、Fas のストーリーに対しても信用が増していった。
1989 年になって、細胞死を直接誘導するヒト細胞表層抗原に対する抗 Fas モノクローナル抗体の論文を発表することができた。この論文は様々な Journal で rejectされ、世にだすことは不可能ではないかと考えた時もあった。そのような時にFasのストーリーを認め、論文として発表できるよう尽力してくれたのは先に記した Jan Vilček 博士である。論文を予め読んで意見を申し述べてもらっただけでなく、New York 在住の周りの研究者に Fas のストーリーを宣伝してくれたのである。そのおかげもあって、論文は New York の Rockefeller 大学が発行する Journal of Experimental Medicine 誌に掲載された(Yonehara, S., et al., J Exp Med, 169, 1747-1756, 1989)。1989 年 5 月のことである。最初は信用し難い話であると相手にされなかった研究を支援してくれた多くの先輩や同輩の研究者みなさんの存在がなくては、誰も予想しなかったような結果につながる偶然が生んだ研究(セレンディピティによってもたらされた研究)を世に出すことはできなかっただろう。
その 2 ヶ月後の 7 月に、よく似たストーリーの論文が Science 誌に発表された(Trauth, B.C. et al., Science. 245, 301-305, 1989)。ヒト細胞表層抗原に対するモノクローナル抗体が標的細胞に直接アポトーシスを誘導するというドイツのPeter Krammer 博士のグループによる論文である。彼らは抗体に抗 APO-1 という名前をつけた。APO はアポトーシス (apoptosis)からの命名である。後に APO-1 は Fas 抗原と同じ分子であることが判明するのであるが、わずか 2 カ月先に我々が報告をしていたということになる。細胞死を直接誘導するレセプター分子の存在という、誰も予想していなかった事実を明らかにすることにつながる研究結果を、ほぼ同時期に二つの研究グループが発表したのである。後に Krammer 博士から教えてもらったのだが、彼らは IL-4 レセプターに対するモノクローナル抗体を調製しようと試みる中で、細胞にアポトーシスを直接誘導するモノクローナル抗体を得たという。同じような経緯で、同じ細胞表層分子を認識してアポトーシスを誘導する世にも珍しいモノクローナル抗体が、同じ時期に見いだされ、発表されたということである。
5.cDNA クローニングによる Fas 抗原の同定
細胞死(アポトーシス)を誘導するヒト細胞表層構造に対する抗 Fas モノクローナル抗体が認識する Fas 抗原の実体を明らかにすることが次の研究目的となった。そのためには cDNA クローニングが必要不可欠であるが、当時の私自身にはそれを成し遂げる技術がなかった。そこで、先に記した IFN レセプターに関する共同研究を行っていた長田重一博士に cDNA クローニングを依頼し、新たな共同研究を開始した。その後、USA の Genentech 社、Immunex 社や日本の他のグループから、Fas 抗原の cDNA クローニングを共同で行いたいという提案が寄せられたが、長田博士と共同研究を開始していたので、長田博士との信頼関係を維持して共同研究を継続した。Fas 抗原の cDNA クローニングはすぐには成功しなかったのだが、DNAX 研究所で Aic2 の cDNA クローニングに関わった伊藤直人博士が長田研究室に参加して発現クローニング法を導入し、KT3 という Fas を高発現する細胞株を見いだして利用できるようになったことによって、cDNA クローニングが成功した(Itoh, N., et al., Cell. 66:233-243, 1991)。
cDNA クローニングに成功し、その塩基配列が読まれているちょうどその時に、当時大阪バイオサイエンス研究所に所属していた長田博士から電話で、「TNF レセプターによく似た塩基配列がでてきた!伊藤君がとっても興奮している!」という連絡を受けた。電話の受話器を片手に持ちながら、全身に鳥肌が立ったことも忘れ難い思い出である。抗体が細胞を殺すという訳の分からない話が、抗 Fas モノクローナル抗体は細胞表層のレセプター分子を認識しており、細胞死を誘導するレセプター分子が存在することを示す結果がでていると実感できた瞬間であった。
Fas 抗原は TNF レセプターファミリーに属する分子であることが分かった。幸いなことに、cDNA クローニングも Fas が APO-1 に先んじることができた。そして APO-1という名ではなく、Fas という名が世界中で広く残ることになった。生命科学の研究分野で日本と海外とでほぼ同時に命名された分子の場合、世に残るのは海外での命名であることが多い。Fasの場合、cDNAクローニングはまさに競争であったのだが、長田博士と伊藤博士の力によりクローニングの競争に勝つことができたことがFasの名前を残すことにつながる要因であった。
6.その後の展開
生体内で Fas に結合して細胞死誘導シグナルを導入するのは抗体ではない。その後、長田重一博士の研究室で Fas に結合して細胞に死を誘導するファクターであるFas リガンドが同定され、Fas が死を誘導するサイトカインのレセプターであることが証明された(Suda, T., et al., Cell. 75:1169-1178, 1993)。また、Fas の発見より以前から、免疫学者を中心に広く研究されてきた全身性の自己免疫疾患やリンパ球の異常増殖を引き起こすミュータントマウス MRL-lpr マウスにおける lpr 変異が、Fas遺伝子の変異であることが明らかとなった(Watanabe-Fukunaga R., et al., Nature, 356, 314-317, 1992)。Fas は抹消における自己反応性リンパ球や活性化リンパ球の除去、免疫細胞によるがん細胞やウイルス感染細胞の除去をはじめとする多様な生理機能を有することが明らかとなっている。
一方、Fas を刺激することによりがんや自己免疫疾患の治療が行えないかと考えられ試みもされたが、マウスにおいて個体レベルで Fas を刺激すると劇症肝炎が発症することが示され、Fas を体全体で刺激することは危険極まりないことも明らかとなり、Fas を刺激して疾患の治療につなげることは否定されている。現在では、Fas の次に見いだされた death receptor/death ligand システムである TRAIL (TNF related apoptosis inducing ligand)や TRAIL レセプターに対するモノクローナル抗体ががん治療に用いられようとしている。
7.おわりに
サイトカイン研究の歴史では、生理機能を持つ液性因子として新しいサイトカインが同定され、次にそのサイトカインのレセプターが見いだされるという順番で多くのサイトカインとそのレセプターの研究がなされてきた。そして、レセプターの同定にはモノクローナル抗体の調製が大きな役割を果たしてきた。一方、Fas システムの場合、サイトカインである Fas リガンドの同定は最後に行われた。細胞死を誘導するという不可思議な活性を有する細胞表層構造に対するモノクローナル抗体の調製が最初に行われ、次にレセプター分子である Fas 抗原が同定され、そしてサイトカインである Fas リガンドの同定が最後に行われるという、他とは逆の順番で Fasシステムは解明されてきた。その後、いくつかの TNF/TNF レセプターファミリーに属する分子も、Fas システムと同じ順番で解明されてきている。獲得免疫系の成立に必須な CD40 と CD40 リガンドの発見もこの順番となる。このような逆の順番をたどって解明されてきたサイトカインシステムは TNF/TNF レセプターファミリーに特徴的である。これは、TNF レセプターファミリー分子の場合、レセプターに対するモノクローナル抗体がそのリガンドと同様の活性を示すことがあるというのがその理由である。視点を変えると、他のサイトカインファミリーの場合はレセプターに対するモノクローナル抗体がサイトカイン用の活性を示すことは殆どなく、リガンド自身であるサイトカインの同定が先に実施される必然性がある。TNF/TNF レセプターファミリーに属する Fas システムでは、レセプターに対するモノクローナル抗体が細胞死を誘導するという異様な活性を示したことから、誰も考えていなかった細胞自身が自爆するためのサイトカイン/サイトカインレセプターシステムが存在するという新しい概念の発見につながったのである。
著者プロフィール
1975 年 3 月 京都大学理学部卒業
1975 年 4 月 京都大学大学院理学研究科修士課程入学
1977 年 4 月 同 博士後期課程進学
1978 年 4 月 同 博士後期課程中退
1978 年 5 月 〜 1986 年 3 月 東京都臨床医学総合研究所 インターフェロンプロジェクト
1986 年 4 月 〜 1992 年 3 月 東京都臨床医学総合研究所 細胞生物学研究部門 研究員
1992 年 4 月 〜 1994 年 3 月 日本たばこ産業株式会社JT医薬基礎研究所 主任研究員
1994 年 4 月 〜 2018 年 3 月 (2001 年 8 月からは併任)京都大学 ウイルス研究所がんウイルス部門生体発がん機構研究分野 教授
2001 年 8 月 〜 2018 年 3 月 京都大学 大学院生命科学研究科高次生命科学専攻高次遺伝情報分野 教授
2018 年 4 月 1 日 〜 京都大学 薬学研究科 寄附講座ナノバイオ医薬創成科学講座 客員教授